失うこと

私は何を失ったのだろう。あの悲しみは何だったのだろう。
期待、夢、子ども、幸運。
何を望んでいたのだろう。
初めての経験だった。私と妻は今までに4人の子を授かり、無事に産み、なんとか育ててきた。
勉強が苦手な子もいるし、我が儘な子もいる。薬を飲み続けている子もいる。
妻はもう出産を望まないといい、私もそれに同意した。最後の出産以来8年間、私たちは注意を払っていたし、それは上手くいっていた筈だ。
夢の中に現れた人が、妻の妊娠を告げたのだ。あなたの妻は身籠もった。
私は受け入れるしかないと悟り、妻を案じた。
少し時間が掛かったが、妻も気持ちを固めた。
私たちは将来を真剣に考え、生まれてくる子供のことを思った。初めてではない。8年が過ぎて、子どもたちがどのように育っていくか、おおよそ見当がついている。その様になるのだと思った。ただ、私たちがその頃よりいくらか年老いているだけで。
2週間後、赤ん坊は育っていないと告げられた。告げられたのは妻だ。
次の診察の時は、私も病院に行って、主治医に挨拶するつもりでいた。妻からメールが届いたが、何のことか分からなかった。
悲しいお知らせ。
悲しい。
どうしていいのか分からなかった。しばらく呆然としていた。理解できなかった。子どもは元気に育つと思いこんでいた。
妻を励まさなくてはならないと思い、早退した。
まぁ仕方がない。思い出した。こういうことは良くあることなのだ。私たちの身の上には今まで幸運にも起こらなかった。
実にありふれたことなのだ。
この2週間余りの期間で、私は妻と話をした。私は改めて、妻との関係を築きなおした。ほんの少しの誤解を修正し、忘れていたいくつかのことを思い出した。私たちは改めて夫婦となった。
子を授かり、子を失って私たちは夫婦であることを確かめた。
何を失ったのだろう。今でも分からない。
小さな細胞の塊が、私たちの生活から消えていった。
期待や記憶や、思いや。何だろう。
夫婦は同じことを案じ、悩み、思った。失った。
思い出し、記憶にとどめた。
問題を共有し、解決しようと協力し合った。
5番目の子は、ハナという名です。ハナを失い、ハナの想い出を手にした。
私たちは夫婦で、それはいつまでも終わらないと言うことを知った。