マイケルの復帰

チャンピオン時代のマイケルの能力の高さは全く疑う余地はない。いろいろなコスト計算の仕方はあろうが、パナソニックトヨタレーシングはマイケルを雇えばより低い予算で目的を達していたのではないか。彼の給料が安いという意味ではなく、5年掛かるはずの成果を彼なら二年で何とかしてくれるという意味で。
私は彼の能力を大いに買っているけれども、エフワンパイロットという職業がそれほど甘いものでないことも想像できる。マイケルが戻ってきてすぐに優勝争いに食い込めるとは思っていなかった。年齢的な衰えを彼の経験がどうやってカバーするのか、未知数だ。私は懐疑的だが、信じて疑わなかった人がいるらしいと言うことは、シーズンが始まって中継中のメルセデスのコマーシャルフィルムを見て知った。マイケル本人がどう思っていたのか、私には分からない。
もう一人のマイケルの復帰を思い出した。父親の不幸な死などあり、彼はバスケットボール選手のキャリアに区切りを付け、野球に挑戦していた。私がアメリカで暮らしていた大半をマイケルは野球チームの二軍選手として過ごしており、彼がバスケットに復帰したとき既にシカゴの23番は欠番で、仕方なく45番を付けて復帰したが、彼ほどの選手でも復帰は簡単でなかったようだ。45番のユニフォームでもたつくマイケルを見て、プロスポーツ選手にとってキャリアの中断がいかに大きな損失となるかを知った。彼が復帰したシカゴのチームが、私が滞在している間にロサンジェルスに遠征することはなかったので、私は彼のプレーを生で見る機会を失った。
復帰したワールドチャンピオンの苦悩にもう一人のマイケルが重なる。