ヘアピン

レーサー達はチャレンジングと口を揃えるが、鈴鹿サーキットは抜きづらく、テレビで観戦するには余り面白くない。勝負所はバックストレートエンドの130Rとホームストレートエンドの1コーナー。
130Rで優位に立ったとしても、その後のシケインは狭すぎる。一コーナーもホームストレートでよほど速度差を作らないと抜き去るのは難しい。
見て面白いのはダンロップからの立ち上がりからデグナーに掛けて、この短い区間でフォーミュラワンは時速300キロ近い速度に達し、フルブレーキングでデグナーに進入する。強烈な加速とフルブレーキングで真っ赤に灼けるフロントブレーキローターがフォーミュラワンのすさまじさを物語る。
何度か現地で耐久レースやオートバイレースを観戦したことがあるが、ヘアピンからスプーンコーナーまで出かける余裕があれば、200Rから230Rの複合コーナーのフェンスを挟んですぐ脇が通路になっており、フェンスに目隠しがしてあるので観戦エリアではないが、強烈なサウンドを堪能できる。
ヘアピンはデグナーを起ち上がって立体交差をくぐったところにある。ここはバックマーカーにとっては余りタイムロスせずに安全に抜かせることが出来る場所だ。レーシングしているドライバーにはストップアンドゴーに近い、どうにもならない場所と思っていたら、そうでもないらしい。
ブレーキングを我慢して、インに切れ込むと抜くことが出来る。但し、先行車がそれだけの余裕をイン側に残していれば。気合いを入れて先行車より少しでも前に出られれば、アウト側は引かざるを得ない。オーバースピードで曲がりきれなければ道連れで接触リタイアということになるから、ギリギリでコントロールしなければならない。
インを締めてきたら、ここぞとばかりにアウトから被せればよい。実は鈴鹿のヘアピンはかなり広い。相当な無茶をするスペースがある。
今回のレースを見ていて良く分かった。同一周回で競っている二台がヘアピンで順位を入れ替えるというシーンを見た覚えがなかった。あれが可能ということになると、鈴鹿は抜けるコースということになる。

イスタンブール

イスタンブールパークサーキットはかなり面白いレイアウトだ。あらゆる意味でインテルラゴスに似ている。
ターン12の入り口で起きた事故のシーンをテレビ画面上で幾つかの角度から眺めた。抜かれた方のドライバーはまっすぐ走っていた。抜こうとしたドライバーは右に車体を寄せていた。
迫るターン12はかなりタイトな左コーナーだから、クリッピングに付くために右に車体を寄せたかったのだろう。しかしそこには同一ラップで競り合っているもう一台の車が居た。
抜こうとした方がイン側にいたし、車体半分リードを奪ってその場の主導権を持っていた。不幸な誤解が招いた事故だ。
抜こうとした側が利己的に振る舞った。そのために事故が起きた。不幸なレーシングアクシデントである。あの場面で誰も事故など望んでいなかっただろう。
その後の彼の態度が、相手ドライバーを見下すものであるとしたら、下品で責めを負うべきだと感じた。

マイケルの復帰

チャンピオン時代のマイケルの能力の高さは全く疑う余地はない。いろいろなコスト計算の仕方はあろうが、パナソニックトヨタレーシングはマイケルを雇えばより低い予算で目的を達していたのではないか。彼の給料が安いという意味ではなく、5年掛かるはずの成果を彼なら二年で何とかしてくれるという意味で。
私は彼の能力を大いに買っているけれども、エフワンパイロットという職業がそれほど甘いものでないことも想像できる。マイケルが戻ってきてすぐに優勝争いに食い込めるとは思っていなかった。年齢的な衰えを彼の経験がどうやってカバーするのか、未知数だ。私は懐疑的だが、信じて疑わなかった人がいるらしいと言うことは、シーズンが始まって中継中のメルセデスのコマーシャルフィルムを見て知った。マイケル本人がどう思っていたのか、私には分からない。
もう一人のマイケルの復帰を思い出した。父親の不幸な死などあり、彼はバスケットボール選手のキャリアに区切りを付け、野球に挑戦していた。私がアメリカで暮らしていた大半をマイケルは野球チームの二軍選手として過ごしており、彼がバスケットに復帰したとき既にシカゴの23番は欠番で、仕方なく45番を付けて復帰したが、彼ほどの選手でも復帰は簡単でなかったようだ。45番のユニフォームでもたつくマイケルを見て、プロスポーツ選手にとってキャリアの中断がいかに大きな損失となるかを知った。彼が復帰したシカゴのチームが、私が滞在している間にロサンジェルスに遠征することはなかったので、私は彼のプレーを生で見る機会を失った。
復帰したワールドチャンピオンの苦悩にもう一人のマイケルが重なる。

NRがもたらしたもの

NRの小さな写真を初めて雑誌で見かけた時のことを今でも覚えている。ライダーさえも機械の一部に組み込もうとする小さなオートバイは衝撃的だった。
NRは結局ものにならず、少なくとも500ccのグランプリレースではまるで成果を挙げられなかった。結局750ccとなって耐久レースで成績を残し、市販もされている。
NRがものにならなかった理由は楕円ピストンの採用に無理があったからだろう。しかしながら、500CC4気筒で2サイクルエンジンと勝負するために、NRのあるべき姿はあれしかなかったのだろうと思う。どう考えてもうまく行きそうにない楕円ピストン8バルブエンジンは結局うまく廻らなかった。今ではレギュレーションの但し書きの中に生き残って居るのみである。しかしNRはピストン形状のみならず、十分進歩的なマシンだった。
パワーを得るために高回転を得ようとする試みは間違っていなかった。そのためにはショートストロークの設計にせざるを得ず、4気筒の制約のなかで楕円ピストンという発想だろう。
エンジンの嵩を可能な限りコンパクトに抑えるという点で、V型4気筒エンジンという配置はアドバンテージがあったはずだ。その後のRVFなどの活躍が証明している。
モノコックフレームはオートバイに応用するにはネガティブな要素が多すぎるのだろう。
小径タイヤはその後のトレンドとなった。倒立型のフロントフォークも同様だろう。
優れたエンジンと云うより、苦肉の策をホンダの技術者が何とかしようとした。そして、市販まで漕ぎ着けとりあえずハッピーエンドで良いじゃないかと言うのに、それを認めたがらないのがホンダのアレなのだろう。

蕎麦屋のライディングテクニック

職場からの帰り道。交差点を赤信号で止まっていると、交差する道路右側から一台のバイクが交差点に入ってきて、大きく車体を右に傾けて右折していった。信号が変わり私の側が青になって走っていくとやがてそのバイクに追いついた。そば屋の出前のジャイロキャノピーだった。ジャイロは三輪のスクーターである。原動機付き自転車に分類される。後輪が二輪、シートを含むフレームの前半部分は駆動輪部分と繋がっているが車体を大きく倒し込むことが可能な構造である。
不思議な乗り物だ。後輪は二輪なのでバンクせずに曲がる。遠心力によりロールするはずである。ロールに堪えるためにライダーは車体の前半分とライダー自身の体をイン側に倒し込む。出前の岡持は車体の後ろだが、構造上は前半部分と一体になっており、イン側に倒し込まれる。岡持がイン側に倒れ込むから蕎麦つゆがこぼれてしまいそうだが、遠心力と重力のバランスが取れるので、恐らくはこぼれないはずだ。一見フラットに見える後輪部分の方が、ロールする際に大きな遠心力が掛かるから、全部こぼれてしまうはず。実はそば屋の出前には三輪バイクは向いていない。ジャイロのライダーは、力学的にはサイドカーパッセンジャーと同じ立場である。
三輪のメリットは、停車時に脚を出したりスタンドを掛ける必要がないことだけだろうと思う。蕎麦をこぼさずに少しでも速く客に届けると言う目的には、普通の二輪が向いている。
出前ライダーは恐らくそれを理解した上で、車体を倒し込みつつカーブを切っていたのだろう。

見てはいけないものを見た

他人がトラブルに陥っている状況を目撃した時に、それが到底解決できそうに無いと気づいたとき、見てはいけないものを見たような気分になる。
先日来、自動車教習所に通って大型二輪免許のための教習を受けた。最終的には卒業試験というのを受けて、合格すると免許を頂ける。この免許については、教習の過程で幾つかの感想を持ったが、今はそれについて書く積もりはない。あと、私自身が卒業検定を二度受けた(一度不合格になった)ことも、あらかじめ書き添えておく。
二度目の受験の時の話。
受検の前に、試験について説明を受ける。受検者が教室に集められ、受検順に着席し、どうしたら合格できるかについての訓話のつもりらしいが、結局、どのようなヘマが不合格につながるか、という話を延々と聞かされ、私はこの時間が大変嫌いだ。そんなことでミスるアホが居るのかよ。と言うような話を聞いて、邪念が湧くような仕組みになっている。1回目の時私は最前列でその暗示を受けたら、一時停止で止まり損ねた。
2回目は私は2列目だった。最前列の男性が籤を引き、今回は2コースと言うことになった。
教習を受けている時から、私は周囲では一番の年長のようだったし、他の誰かと仲良くする積もりはなかったので,誰とも口を利いていなかった。私にとってライディングは常に孤独なのだ。誰かとつるんでバイクに乗るのはお断りだ。
時間が近づき、コースに降りて順番を待つことになった。先ほど、私の前に坐っていた男性が話しかけてきた。細かい内容は覚えていないが、要するにスラロームが苦手だとのこと。彼が引いた籤でコースはまずスラローム一本橋を通る方になったのだ。スラロームなんぞ別に苦ではなかった。とにかく、アクセルを開ければ大丈夫と思う。私はそう言った。びびってハンドルを切るより、アクセルワークで車体を起こす方がタイムを稼げる。
彼がなんといったか覚えていない。私より少し年下の中年男性だ。
彼が一番にスタートした。いきなりスラロームだったが、何とか通過した。冷や冷やさせる。そして、次の一本橋に向かう途中でいきなり道を間違えた。あれ?踏切を渡らなかったぞ!と思ったら、拡声器で呼び止められた。コース順を間違えること自体は減点の対象にはならない筈だが、彼は指示通りもう一度外周を周り、それから一本橋に進入した途端に脱輪し、試験を終えた。
いや、何というか。私は彼のことを何も知らない。彼が何かの免許を既に持っているかどうか、あるいは既に何度か試験に不合格になっているのかどうか、何も分からない。唯一はっきりしていることは、彼はまだ大型二輪の免許を持っていないこと。それから教習の過程で教官が卒業試験を受けることを許可したこと。
どうだろう。果たして彼は、次の試験で合格したのだろうか。彼にとって、そして彼を指導する教官にとって、それは相当に厳しい道のりのように思える。走路を間違えた彼が、一本橋に乗ろうとして、そのまま落下した時、あれまぁと思い、グダグダになって走路を廻って戻ってきた彼が、幾つかのステートメントを残したような気がするが、内容は覚えていない。要するに、この人は当分合格しないだろうと思い少しほっとした。公道に出てくるべきでない様な気がしたからだ。
見てはいけないものを見たような気分になったが、その後の私の試験には影響しなかったのは幸いだった。

ヤフーのブログサービスの利用をやめた

元々、このページはヤフーの「おやこニュースのソコ」のミラーということで始めた。
私はヤフーブログが大変気に入らないが使っていた。もう潮時と思って削除した。
私の記事より大きな文字で、広いスペースを取って「一攫千金を目指せ」みたいな広告を載せてくるのが嫌だった。
このページも広告は乗せていないし、その他、私が管理しているウエブ上のさまざまなりソースの多くは広告を載せていないか、若しくは最小限に留めている。
ヤフーの広告はやり過ぎだ。それ以外にも、「全て表示」とか、「表示する記事がありません」とか、理解できない文字列が多く、嫌だった。マークアップがでたらめなのも嫌だし、嫌いなアバターとの接点が多いのも苦痛だった。要するに潮時と言うことだ。