見てはいけないものを見た

他人がトラブルに陥っている状況を目撃した時に、それが到底解決できそうに無いと気づいたとき、見てはいけないものを見たような気分になる。
先日来、自動車教習所に通って大型二輪免許のための教習を受けた。最終的には卒業試験というのを受けて、合格すると免許を頂ける。この免許については、教習の過程で幾つかの感想を持ったが、今はそれについて書く積もりはない。あと、私自身が卒業検定を二度受けた(一度不合格になった)ことも、あらかじめ書き添えておく。
二度目の受験の時の話。
受検の前に、試験について説明を受ける。受検者が教室に集められ、受検順に着席し、どうしたら合格できるかについての訓話のつもりらしいが、結局、どのようなヘマが不合格につながるか、という話を延々と聞かされ、私はこの時間が大変嫌いだ。そんなことでミスるアホが居るのかよ。と言うような話を聞いて、邪念が湧くような仕組みになっている。1回目の時私は最前列でその暗示を受けたら、一時停止で止まり損ねた。
2回目は私は2列目だった。最前列の男性が籤を引き、今回は2コースと言うことになった。
教習を受けている時から、私は周囲では一番の年長のようだったし、他の誰かと仲良くする積もりはなかったので,誰とも口を利いていなかった。私にとってライディングは常に孤独なのだ。誰かとつるんでバイクに乗るのはお断りだ。
時間が近づき、コースに降りて順番を待つことになった。先ほど、私の前に坐っていた男性が話しかけてきた。細かい内容は覚えていないが、要するにスラロームが苦手だとのこと。彼が引いた籤でコースはまずスラローム一本橋を通る方になったのだ。スラロームなんぞ別に苦ではなかった。とにかく、アクセルを開ければ大丈夫と思う。私はそう言った。びびってハンドルを切るより、アクセルワークで車体を起こす方がタイムを稼げる。
彼がなんといったか覚えていない。私より少し年下の中年男性だ。
彼が一番にスタートした。いきなりスラロームだったが、何とか通過した。冷や冷やさせる。そして、次の一本橋に向かう途中でいきなり道を間違えた。あれ?踏切を渡らなかったぞ!と思ったら、拡声器で呼び止められた。コース順を間違えること自体は減点の対象にはならない筈だが、彼は指示通りもう一度外周を周り、それから一本橋に進入した途端に脱輪し、試験を終えた。
いや、何というか。私は彼のことを何も知らない。彼が何かの免許を既に持っているかどうか、あるいは既に何度か試験に不合格になっているのかどうか、何も分からない。唯一はっきりしていることは、彼はまだ大型二輪の免許を持っていないこと。それから教習の過程で教官が卒業試験を受けることを許可したこと。
どうだろう。果たして彼は、次の試験で合格したのだろうか。彼にとって、そして彼を指導する教官にとって、それは相当に厳しい道のりのように思える。走路を間違えた彼が、一本橋に乗ろうとして、そのまま落下した時、あれまぁと思い、グダグダになって走路を廻って戻ってきた彼が、幾つかのステートメントを残したような気がするが、内容は覚えていない。要するに、この人は当分合格しないだろうと思い少しほっとした。公道に出てくるべきでない様な気がしたからだ。
見てはいけないものを見たような気分になったが、その後の私の試験には影響しなかったのは幸いだった。