予断

スポーツ観戦が好きだ。ルールを知っていればより楽しめる。一流といわれるアスリート達の戦いは、たとえルールが分からなくてもそれなりに面白い。

あとは、そのスポーツを見るための動機付けがあればよい。国際的な大会が身近に開かれることは、スポーツを見る動機付けとして有用だ。たとえ商業主義が鼻についても、アナウンサーが騒々しくても、コマーシャルが鬱陶しくても、競技を見ることが出来ればそれでよい。

宜しくないのは、予断だ。商業主義はスポーツに色づけする。人気の競技が大きく取り上げられ、コマーシャルをまたぎ、もったいぶる。テレビの役回りは、スポーツを中継することではなく、スポーツの中継に対する期待を抱かせ、視聴者の関心を出来るだけ長く続かせることだ。

< p> それでも良いのだ。中継をしてくれればそれでよい。一方で、プロデューサーは、視聴者達が下らない予断を持つように仕向ける。

あんまり盛り上がらなかったようだ。中継自体。最終日、マラソンだけ、ちょっと話題になったくらい。

目一杯の予断を振りまいて、その予断が全て裏目に出た。陸上短距離のスーパースターが2冠をとったくらいでは、予断の人たちは喜ばない。

予断はスポーツ中継を駄目にする。