ニイチャン

ニイチャンといっても、別に血縁関係があるというわけではない。ニイチャンとはどのようなものか。

雨模様のため、電車で通勤した日。帰りが遅くなった。電車に乗ると、野球が終わった後で、甲子園球場前から野球帰りの乗客が乗り込んできた。勝ったか、負けたか。

結局、午後になって雨が上がり、野球は無事に行われたようだ。神戸方面の各駅停車は西宮で特急、急行の通過待ちで暫く待たされる。先ほど、甲子園球場前から乗ってきた初老のおっちゃん。隣にいるのは奥様だろう。ご機嫌である。つい、うっかりとペットボトルのお茶を電車の床にこぼしてしまった。

そのうちに乾くだろう。おっちゃんは、おくさんからポケットティッシュを受け取り、床を拭き始めた。向かいに座っていたご婦人が、彼にナイロン袋を渡した。

「どうも、すんませんなぁ。」なかなか良い光景である。

おっちゃんの向かいに座っていた、中年のサラリーマン氏が慌てて電車を降りた。向かい側のホームに入ってきた特急に乗り換えるためだろう。その隣、先ほどおっちゃんにナイロン袋を渡したおばちゃんが、あら、彼が傘を置き忘れたのに気がついた。ちょっと、傘忘れましたわ。ちょっと!

しかし、サラリーマン氏は気付かない。おっちゃんは傘を手に、慌てて電車を駈け降り、サラリーマン氏を追いかけた。「ニイチャン!ニイチャン!傘忘れたで」大きな声である。もしかすると、と思いながら、一連の行動を見ていたが、おっちゃんは傘をサラリーマン氏に手渡し、意気揚々と帰ってきた。良いシーンを見た。

ニイチャンとは何だろう。もちろん、血縁などひつようない。おっちゃんにとって、自分より若い男性の総称が、「ニイチャン」なのだろう。

同じ状況で、自分ならサラリーマン氏をどうやって呼び止めようとしただろう。

適当な言葉が見つからない。

いろいろ考えて思い及んだ。ニイチャンと言う言葉は無敵である。それから、この日タイガースは負けていたのだ。甲子園の阪神ファンの行儀良さを示すエピソードの一つとしてどうだろう。