鉄砲

全米には2億丁に近い銃が出回っているそうだ。

そんなにたくさんあるのに、たいていの人は銃に撃たれて死んだり、怪我したりしない。それがアメリカの市民生活におけるバランスなのだろう。

大学で大勢の学生が撃たれて死亡する事件が起きた。同じ新聞には、市長が公衆の面前で襲撃されて死亡する事件が報道されていて、イラクではテロが続いてもっと大勢の人が死亡したというニュースが囲まれていて、私は自分にとってどれがいちばん深刻であるか、考え、市長が撃たれた事件を選んだ理由は、私が住む町でも選挙が行われているからで、選挙事務所前で選挙カーを降りる人は、日本中にかなり沢山いると思ったから。

しかし、市長が撃たれた事件の肝心な点は、堅気の人が巻き込まれたこと。その筋の人々の論理に、気質の市長が巻き込まれて撃たれた。全く理不尽だ。私は、自分が理不尽な立場に巻き込まれたくないと思う。

おそらく、いらいらして不満を募らせる人は、大学のキャンパスの中に何人か居ると思うのだが、そういった人たちが、何らかの形で追い込まれたのだろう。犯行声明のようなビデオが放映されていたが、あのようなものを公共の電波とか言うものに載せる行為が非常に下らない。不愉快になるばかりで私は何一つ得るところがない、むしろ、まともであった頃の彼の姿を知りたい。

私がアメリカに住んでいた頃、つきあいのあったアメリカ人は、銃は持たないといっていた。息子には水鉄砲さえ与えないという。

ずいぶん昔に、長女を送る幼稚園のバス停で、三歳くらいの男の子がおもちゃのてっぽうをふざけて私に向けて、私は大変嫌な気分になった。2億丁の銃があるアメリカで、大学のキャンパスで起きた最悪の銃撃事件。そのざっと4−5倍の人々が、その日イラクで爆発に巻き込まれて死んだ。様々な夢が潰えた。