身を守ること
インターネット時代だ。我が身をどうやってまもるか、これは大変難しい。
見も知らぬ誰かが私のことを知っている。私にアクセスできる。インターネットは私を誰かと結びつける。本来なら見も知らぬ誰かが、私に興味を持ち、私に恨みを抱く。
インターネット時代に私が我が身をまもる手段を考えるうちに、要するに身を守ろうとしないことであると思い至る。私はそのようなことを何処かに一度書いた。ネット上の非武装中立である。リアル世界で非現実的な馬鹿げた思想と思われがちなこの論理は、ネット上でこそ意味を持つ。
見たい人はどうぞご覧なさい。引用したい人はどうぞ、転載したい人も勝手にどうぞ。
そういうこと。
リアル社会で多くの市民の安全に責任を持つべき人々は、なかなか非武装中立とは言い難いだろうが、それでは私自身が生活していくために、あるいは、私の家族を無事に生活させるために、私はどのように振る舞うべきか。
非武装で良いのではないか。
もし仮に、近隣住民の半数以上が武装していたとして、そして犯罪者のほぼ100%が武装していたとして、私はそれに対抗する必要があるかどうか。
アメリカ人たちは、武装する必要があるという。私はそうは思わない。武装して身を守る状況と、武装する必要がない状況を比べて、私は武装しないで済む方が良いと思う。これに異論は無いと思う。
銃など持たずに生活するのがモダンで知的な態度の象徴となる時代が、近い将来のアメリカに、訪れることはないだろうな。
ない方がよいと思う人がほとんどで、誰もがない方が良いと思っていると思う人が過半数を占めるような物が、世の中に蔓延ってしまったら、もうそれを受け入れるしかないわけで。自分くらいはそれに背を向ける自由を行使することは、やせ我慢としては成り立つのかも知れないが、多数派にはなりにくいのだろう。
私は大抵少数派だ。