ウエブページの管理人として

ウエブページ、あるいはブログでも良いが、管理人として私が最も重視することは、私が管理する領域にあるコンテンツの質である。

自分のページに下らない記事を並べたくない。私のページに並ぶものは、私が自信を持って読者に薦められるものばかりだ。

そういう状況を目指す。

私が言いたいことを自由に言える状況が望ましい。これは素晴らしいと思ったものを紹介し、コメントを付け加える。これは比較的簡単だ。

下らないものは下らないというのだが、そのように意見を表明することが、いくらか社会に貢献するかどうかを考える。下らないものを見て見ぬふり、というか、これは下らないと思ったときに、「もう見ないことにする」のは比較的安直な解決法である。自分の立場から、それが何故下らないかを表明することは意義がある。

云いたいことを素直に云えることも重要だ。格好付けたり、偽善的な態度をとると、後々に整合性がとれなくなり、不本意な記事を書く羽目になるかも知れない。

私はこのブログでわざわざHTMLの基本的なタグを書き込んで疑似マークアップをし、画像で自らの姿をさらし、転載スタータスを「可」にして、公開、コメント「可」としている。全てを公開し、閲覧者が自由に使えるようにしている。訪問者履歴を消しているのは、ヤフーIDをもった閲覧者をそのほかと区別したくないからだ。ファン登録を消すのは、全ての閲覧者と等しい距離を置きたいからだ。

これ以上、何を望むか。私は閲覧者の完全な自由を目指している。なぜか。

私自身が自由でありたいからだ。私自身がこのブログで完全な自由を得るためには、そうする必要があるのだ。

現実に、考えてみたまえ。閲覧者を選ぶことは出来ないのだ。誰もが自由に私のブログを訪れ、読んでリンクを辿る。ウエブページを印刷して読む人は意外に多い。後で読むために、ローカルにセーブする人もいる。私が今、こうして2007-03-15の日記を書いている間に、前の日の日記を読んでいる人が居るかも知れない。

ちゃんとルールを守る姿勢が大切だという人もいる。ちゃんとって何よ。私は子どもを育て始めて、「ちゃんとしなさい」と子どもに云う親の傲慢さを感じた。「ちゃんとしなさい」と親に言われて、「はい」と答える子どもは、すでに親を馬鹿にしている。自分が「ちゃんと」してみろよ。

ちゃんとする、って何をするんだ?

私は私が正しいと思うことをする。書く。法律が間違っていると思ったら、そのように書く。最高裁判決がおかしいと思ったら、そう書く。あるあるはほぼ全てインチキを含むとおもったら、そのように書く。大臣のやったことは全く下らない。間違っていると思えばそのように書く。ヤフーのガイドラインに縛られたりしない。仮に、ガイドラインを外れて、ブログが削除されたとしても、それだけの話だ。自分の信念の方が遙かに重要だ。わたしにとって権威とは、私の知識だ。

ましてや、どなたかのローカルルールなどは、見なかったことにする。リンクは自由ではありませんとか、リンクはトップページにお願いしますとか、ヤフーの場合は転載の条件はドウタラコウタラとか、その手のやつだ。

下らない注意書きで自分のウエブページをを汚す愚かな行為を正当化しない。これはずいぶん前から何度も言っていることだ。