おおらかな人

誉められるのが苦手だ。

北海道で生まれ育ったというと、特別なものを見るような目線を浴びる。

北海道生まれだから、おおらかといわれることがある。そんなもんか。北海道生まれはおおらかか。

松山千春の歌を歌わされる。長い夜が人気だ。まぁ、20年近く前の話だが。今なら何だろう。GLAYか?って、わたしは良く知らないけど。玉置浩二氏は同郷だ。他にもいろいろ。

今でこそ、宗男氏のようにすっかり有名になった北海道出身者はいるが、当時は何かと松山だった。

私は彼にさっぱり良い印象が無く、長い夜など唄いたくもなかったから、細川たかしお茶を濁すのが常だった。北酒場を私の十八番と思いこんでいる人は多いかも知れない。

私は、おおらかといわれることが苦痛だった。確かに、北海道出身者はおおらかで、細かなことを気にしない、おおざっぱな鈍感な人が多いように思う。一年の半分は雪に閉ざされ、何もかも隠れてしまう。細かなことに拘ってもしかたがない。隣の人は、ずいぶん離れたところにいる。人間関係が希薄とか、どこに行くにも車で、北海道の人は訛っていないベサ、とか平気で云う人が多い。

おおらかだ。

私にとって、おおらかは誉め言葉ではない。非常識とか、図々しい、と同じような意味である。

大自然。美しい自然という。そうか、これは自然じゃないぞ。これはただの農場だ。観光バスの相手をするために、山を削り、田畑を埋めて、肥料を撒いて、花の苗を植えたのだ。しかも、派手な見栄えとなるように品種改良され、もしかすると遺伝子を組み換えられたやつかも知れない。

まぁ、要するによく知らない人が誉めるものの大半は、まがい物で、それはちょっと考えればすぐに分かるはずだという話。

昨日話題にした、資料映像の話とちょっと似ている。