資料映像

テレビは見ない方が良いですね。

今日は帰りが遅くなり、一人でのんびりと風呂に入りました。新居の風呂にはテレビがついている。夜の10時台にニュースをやっているのはテレビ朝日のみ。久しぶりに見たけれど、ひどいね。

素人の愚痴レベルだ。それでも、それなりの視聴率があるはずだから、拙いね。

かつて、久米氏がキャスターをやっている時分、ずいぶんひどいので、これはもう見ない方が良いとおもって、この時間のニュースショウは見ないことにしていた。今日は選択の余地がなかったので、見ていたのだが、まぁちょっとひどい。キャスターの横にいるジャーナリスト風の人も、何か自信がないなら黙っていればいいのに。というか、これならタレントをずらりと並べて、順番にコメントを喋らせた方がまだ増しだろう。

以前はこの時間にNHKがニュースを放映していたと思うのだが、やめてしまったようだ。選択の余地がないというのは、厳しい。

TBSでは資料映像の不適切な使用が問題になっている。

資料映像に、私は敏感だ。いつもテレビ画面を睨み付け、おかしいと思ったら口に出すようにしている。口に出すのは、家族に対する配慮である。

おい、あれはおかしいぞ。インチキだ。

今のは表示が無かったけれど、ただの資料映像だぞ。

そういうことを口に出す。大抵は、私自身も含めて、ぽかんとして眺めている。無条件で受け入れ勝ちだ。

たとえば、覚醒剤のニュースが流れると、その背後に薬包紙の上にうずたかく盛られた白い粉の映像が流れる。その粉の正体は分からないが、ADが用意したただの粉だろう。中高生相手の買春事件が起こると、ちょっとぼかした感じの女子中高生の制服後ろ姿の映像が流れる。大抵はネオンの盛り場が背景だ。元々、どういう意図で撮られた映像なのか分からない。

これらは全て資料映像だ。何も意味はない。何となく、映像があったほうが賑やかで良い、程度のことだ。現実には、視聴者に先入観と誤解を与える。事件を伝える報道のたびに、使い古された教祖や将軍様の映像が使われる。これにも意味はない。ある時間、何となく雰囲気を出してその画面を埋める必要があるだけだ。

さらに云えば、ニュースとして並んでいるネタそのものだって、別にその日に伝える必要があるものばかりではない。どれほど賑やかで忙しい日でも、退屈で何もない日でも、ニュースの時間は変わらない。今日は特にお伝えするニュースはありませんので、後の10分間は音楽をお送りします、などというニュースがあれば、そのほうを私は信用する。