女性はおそらく後悔するだろう

妻は4度の妊娠出産を経験したが、比較的安産だった。

それでも、その経験は女性にとって特別なものなのだろう。母性は、いくらがんばったところで、男は持ちようがない。想像しようとするが、理解できぬ。

私は、我が子より妻の方が大切だ。これは既に子どもたちに宣言している。一番大切なのはカアサンだ。どうしても一人だけ助けるとしたら、トウサンは迷わずにカアサンを助けるから。

妻がどう思っているか、私は知らない。

いろいろなことが、簡単には解決しない世の中だ。病気の夫を見殺しにした妻が、救急車を呼ばなかった理由は、ゴミだらけで散らかった部屋の中を救急隊員に見られたくないから、とのことだ。そういう気持ちになること自体は理解できる。しかし、その判断の結果がもたらしたものは余りに大きい。

上手な口車で人々を騙し、多くの人々を不幸に陥れる詐欺師たちも、だまし取った莫大な現金を下らない事に使う。一円を笑うものは一円に泣く。そのはした金を払えないために、哀れな老人を殺め、薄っぺらい財布から小銭を抜き取る事件を目にすることもある。

人は何故そのような些細な動機から大罪を犯すのだろう。そして、社会や私は気の毒な人々に、どのように関わったらよいのだろうか。

下らない模様の付いたポーチを手に入れるために、売春行為を行う者がいる。少女たちに金を払う者がいる。需要と供給の関係をそこに持ち出すことは全く間違っている。少女たちが必ず後悔することを大人たちは知っている。彼女たちはそれを知らないだけだ。

母親や、もうじき母親になる女性が思い詰めている。生まれてくる子供と過ごす素晴らしい日々を知らぬ人だ。そのようなすばらしさを想像さえ出来ぬ人だ。

子を殺めるくらいなら、私たちが代わりに育てましょう、とアドバイスを送る試み。

赤ん坊を手放した母親は必ず後悔する。深い傷を負うだろう。赤ん坊よりも、先ず母親となる女性を救うという発想で取り組むことが必要なのではないか。