携帯電話を使わぬ生活
快適に暮らしている。私は携帯電話を使わずに生活している。
私の妻も携帯電話を持っていない。子どもたちにも持たせていない。困らない。誰も私を携帯電話で呼び出そうとしない。持っていないのだから当たり前だ。誰からも苦情を言われた事はない。
あぁ、私は携帯電話を持っていませんので。それで済む。この気分は、例えばわたし一人だけ、会議にノーネクタイ、ジーパンで出席する特権を与えられているようなものだ。
携帯電話を持たずに済むというのは便利だ。
つまらない電話やメールが追いかけてくる心配が要らない。メールはパソコンで受けている。
いちいち着信を気にする必要はないし、紛失する心配も要らない。気まずいタイミングで呼び出されたり、ジィジィ鳴ったり、そういう心配が要らない。毎月の支払いを気にする必要もないから、お金もかからない。機種がどうのこうのと気にすることもない。ストラップをおまけに貰ったら、捨てる。
子どもたちにも持たせるつもりはない。子どもたちは、携帯電話が欲しいとさえ云わない。世の親たちが、どうして子どもに携帯電話を持たせるのか、私は理解できていない。
電話やメールに追い回されてあくせくしている人を見下す。誰からも呼び出されず、誰にも邪魔されない。
強いて云うなら、使い慣れていないから、急に使わなくてはならなくなったときに、どうして良いのか分からない。それだけかな。
公衆電話が減っているけれども、まぁ、勘を働かせて探せば見つかる。