子どもが成長すること

昨年暮れからイヌを飼い始めた。生後二ヶ月ほどの柴犬(オス)をペットショップで購入した。

あっという間に大きくなる。柴犬は小型の日本犬である。6犬種いる日本犬のうち、最も小型である。有名なハチ公は秋田犬で、日本犬の中では最も大型である。

イヌの話はまた改めて書くことにする。

私は人間の子どもも4人育てている。出産にも立ち会い、おしめもずいぶん替えた。抱っこもした。我が子であるけれども、気付いたときには大きくなっていた。いつの間にか大きくなってしまった。どんなだったか思い出せといわれても、もう無理だ。末っ子の長男はようやく小学校に上がる年頃だが、ますます大きくなるだろう。今の姿を数ヶ月後に思い出せといわれても無理なのだ。時の流れと云うのは、そういうものだ。

ニューシネマパラダイスという映画の中で、子役時代のトト少年が青年になるシーンがある。視力を失ったアルフレートがトト少年の顔に手をかざす。次の瞬間には、少年は青年になっている。目の見えないアルフレートはごく自然にそれを受け入れる。

子どもたちの成長を見つめる私は、まるで盲目のアルフレートのようだ。見えているようで見えていない。視覚は時の流れの前に余りに無力だ。

だから、私はそのとき、その瞬間を大切にする。もう決して戻らないその瞬間を忘れることを恐れない。一緒に時を過ごしたという記憶だけで十分だ。忘れる理由も知っている。子どもたちを育てながら、自分自身も成長しているからだ。