性的虐待と性教育と生命の尊厳

先日、夕食後に長女と話をしていた。テレビはニュースの時間が終わり、クローズアップ現代が始まった。家族内部の性的虐待が話題になっていた。

年頃の娘と親子水入らずで見る内容ではなかった。どういう意図で、この時間帯にこの企画を放映したか。

別に、事実を隠す必要はないし、興味深い話題ではあるのだが、肝心なところをぼかす。ぼかす故に奇妙な内容だったので、私と娘の間には微妙な緊張感が漂った気がする。

被害の実態をリアルに表現することを憚ったのかも知れない。多分、誤魔化した。それが宜しくない。きちんと突っ込んで、ありのままを表現して欲しかった。

取り扱い方はいくつかあったはずだ。

  • 被害は具体的にこのような形で起こります、と実例を示し、性的虐待と認識していない少女たちに、注意を喚起する。
  • 現在、虐待に苦しんでいる少女たちに対処方法を教える。
  • 虐待を止められずにいる男性に、警告を発する。

もちろん、虐待は男性から女性に対しておこなわれるものが多いのかも知れないが、女性から男性に向けられるものもあるだろう。

せめて、統計的に、被害者と加害者の関係くらい提示して欲しかった。してたのかな。

小学5年生の次女が、性的虐待とは何か?と私に尋ねる。女房が答えていた。長女は彼女なりに理解していたと思う。

非人道的な事態である。しかし、そういうものがあるのだろうということは、想像が付く。

まずは性教育が必要なのだ。私は子どもたちに正確な性の知識を与える必要があると思う。私の性の知識はずいぶん歪んでいた。誰も教えてくれなかったからだ。

命の尊さを教える前に、まず生命がどのようにして育まれるかを教えるべきだ。素人が恥ずかしがりながら、肝心なところをぼかして教えると、今回のクローズアップ現代のようになる。疑心暗鬼が生まれる可能性がある。

こういった知識の伝授には、お互いの信頼関係は必須なのだ。家庭内で、あるいは学校教育でプロが段階的に性教育をおこなうことの必要性を感じた。

そのためには、まずは親に対する性教育が必要かも知れない。必要だろうな。