タバコ好きというマイノリティ

私はタバコが好きだ。好きだから吸っていた。今は吸うのを止めた。
色々な事情があり吸っていない。贅肉が気になる人がアイスクリームを止めるようなものだ。タバコには習慣性がある。私は意志が弱い方だから、喫煙行動を自分の都合の良いようにコントロールすることは出来ないと思う。コントロール出来ないと悩むのが嫌だから、全く吸わないことにした。二年ほど前に吸わなくなってから、多分吸っていない。夢の中で、吸ってしまったと思う夢は何度か見た。多分吸っていないはず。夢の中だけ。
タバコを吸わない人から目の敵にされることが多い喫煙者だが、わたしにとって、セルフコントロールから外れることが問題だった。健康を害することがとかく話題になるが、これは自己責任であり、よもやタバコの害を知らない喫煙者は居ないと思う。受動喫煙は解決しなくてはならないと思う。臭いや煙や毒性物質から逃れる権利が非喫煙者にはあるはずだ。
繰り返しになるが、喫煙者本人にとって問題点は、自分自身の健康上の害というよりむしろその習慣性により自らの行動をコントロールできなくなることだ。
様々な場所が禁煙になることは良いことと思う。喫煙者と非喫煙者は全く利害が一致しない。隔離する以外に手はないと感ずる。私が喫煙していたときも、非喫煙者と干渉し合わないように苦労した。
ええ加減な喫煙席を設けている飲食店はそのうちに行き詰まるだろう。先日利用したモスバーガーにはガラス張りで完全に隔離された喫煙席がある。そういった喫煙室なら見たことも利用したこともあるが、そのガラス張りの密閉された空間(実際には換気扇が回っていると思うが)の中で喫煙しながらバーガーを頬張るのは私には抵抗がある。見られること以上に、バーガーが不味そうだ。タバコはタバコで楽しみ、バーガーはバーガーで味わいたい。それに、さらし者は不本意だ。それでも、家族を引き連れてそのガラス張りの中に入る家族連れが居た。
そういったガラス張り完全隔離喫煙席など作るくらいなら、完全禁煙の方が増しと思ったのだが、実際に利用している人を見ると、それなりに意義はあるようだ。つまり、こうまでしてタバコ吸いたいか、という問いかけである。気にも留めずに愛息を乗せた乳母車を押して中に入る人もいれば、我慢する人もいるだろう。
話が厄介なのは、喫煙者が言うほどにマイナーではないことである。男性に限ると、半数近くは喫煙習慣を持っているのではないか。将来的にはマイノリティーという括り方になるかも知れない。
習慣性によりセルフコントロールが効かなくなるものを私は他にも知っている。