まとめ

ブログタイトルがh1だから、記事タイトルはh2にしておく。

ヤフのてんさい機能そのもののと、天才記事の作者のパーソナリティの問題に分類してくださった方がいるけれども、私はそのいずれにも余り興味はない。天才機能そのものは一種のセキュリティホールのようなものと感じているけれど、ヤフブログの不都合はそれだけじゃない。

スタイルシート不適用で見ると、すっぽんぽんになるアバタもホールのひとつだろうし、それでいい人が集まってやっている。天才に応募したブログ運営者のほとんどは、彼のパーソナリティを問題なしと感じているのだろう。全体としての雰囲気も極めてクローズドだし、この話題に興味を持つまで、私はヤフブログを一度も見たことがなかった。

私が注目したのは、記事そのものの妥当性だ。文部科学大臣が受け取った手紙をさらし者にしたことを全く無批判に受け入れる態度や、一見して虹天才を促しているような記事の作り方。どこを誰に読ませたいのか、誰に何を伝えたいのかさっぱり分からない、文章の施してある不思議な装飾の意図が読み取れない。画像にしてある文章に至っては、誰がどういった意図でその画像を造り、作者がなぜそれをそこに曝したのか、さっぱり分からない。フラッシュという目障りな広告のようなものが目立つ。

念入りに読むと、結局この記事の要点は、「文部科学大臣にいじめが原因で自殺するかもしれないと手紙を書いた人がいますと、 学校の先生に知らせてください」というはなしなのだ。天才ボタンを押したブロガーの皆さんが学校の職員室に電話をするわけ無いな。

要するに、全く無意味な記事なのだが、文部科学大臣の対応や教育長の声明文の酷さに較べると、意味がないと云う点で、それらのお偉いさん達の公式の文書よりはマシだったかも知れないと、私は今になって思う。